思いは続く
10月28日
今から26年ほど前、私が特養からデイサービスに異動となって、まだデイサービスで何をすべきか掴めずにいた頃です。
そのころ世間では、まだ認知症は痴呆症と呼ばれ、あまり理解されておらず、恥ずかしい事、悪い事の様なイメージがあったと思います。デイサービスも山科区に3か所しかなく、利用するのにも順番待ち、利用できても週に1回くらいでした。
あるご利用者様のお宅にお伺いしたとき、私はその娘様の話に大きなショックを受けました。その方の話によると、数年前から母親に認知症がでてこられたそうです。しかし、当時は相談する場所も人もなく、これから母親がどうなっていくかも分からない時代でした。毎日独りで不安を抱えながら、母親との会話を楽しみに介護されていました。ある日、買い物から帰宅したところ、母親が便を漏らし、それを手で部屋中に擦り付けている光景を目にされます。ただただ涙が溢れ、その母親を抱きしめて朝まで泣き続けたとの事です。
私は福祉の世界に入る前は、エンジニアとしてロケットや原子力発電等々のシステム作りに携わり、当時日本の技術は世界に誇れるものと信じていました。その日本で、何の助けもなく悲しまれている方がおられる事に衝撃を受けました。
なんでこんな事が・・・老いる事は悪い事ではなく、認知症になる事は悪い事ではなく、お母様と共に支えあって頑張って生きてきて、泣くよりない・・・。
私自身、正直認知症にはなりたくないと思っています。現実と自分の記憶が一致しなくなったら、自分を信じられなくなります。人と話すのも怖くなるでしょう。孤独な闇の世界に閉じこもってしてしまう様に思います。一生懸命働いて、家族や仲間と喜びも悲しみも分かち合い、支え合って生きてきたその自分がなくなっていく、独りぼっち・・・怖いです。
あるご利用者様がこんな事を言っておられました。「昔(戦後間もない頃)は食べるもんなくて、いつもおなかをすかせていた、でもみんなで助け合って頑張っていた、あの頃の方が楽しかった」と、色んな意味があると思いますが、この方がなにより悲しいと思っているのは人との繋がりを失ってしまうという事ではないかと思います。身体的機能や認知機能が低下しても、お互い認め合って支え合う事が、人として生きていく楽しさに繋がるのだと。
たとえ認知症になっていろんな事を忘れてしまっても、自分で出来る事が無くなってきても、毎日続く介護に疲れ切っても、その気持ちを理解してくれる人が側にいる。支えてくれる。笑顔にさせてくれる。そんな事のできるデイサービスを作りたいと思い続けています。