緑寿会法人概要 緑寿会へのアクセス 緑寿会へのお問合せ TEL : 075-593-0800

投稿者別

2024年4月
« 2月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930  

浜松の転車台へ次男夫婦と一緒に旅日記

投稿者:特養 スタッフ
2017年
1112

1泊旅行予定であったが、都合で、浜松に日帰りとし予定変更となった浜松旅行記。

7時に苑出発予定にしていた為、6時過ぎに苑に来てみると、いつも通り起床し食事テーブル席に座っておられた。挨拶をすると「今日はよろしくお願いします」と嬉しそうに挨拶してくれました。前日も帰る前に声かけに行くと「明日よろしくお願いします」と。
20171112_171113_0069

今回旅行プランは次男さんと一緒に考えてもらい、何度もプランを検討し、ご本人にもiPadで行く先々を見てもらってどこに行きたいか何がしたいか等聞き取りをしていたのもよかったのかな?と感じた。

暖房で暖かくしておいた脱衣所で、着替え、髭剃り等行い、予定の時間通り7時に苑を出発。
IMG_2486

新幹線の時間迄、朝食のサンドイッチとコーヒー、次男さんのお土産にとお店をゆっくり見て回って、柴漬け・すぐき・千枚漬けがセットになった漬物を購入。
新幹線でサンドイッチとコーヒーを召し上がられ、景色を見たりゆったり過ごされました。
IMG_2489
浜松駅に到着すると次男夫婦が迎えに来てくれ、【うな善】までドライブ。車内では、浜松には終戦の時にいて、士官学校に通っていた事等、懐かしそうに教えてくれ、終戦時は浜松駅付近は何もなかったのに、こんなに沢山建物が建っていると時代の変化も教えて下さった。
IMG_2492

うな善は次男さんが就職して間もない頃に一緒に行った事のある思い出の場所だったとの事で、浜松でうなぎを食べるなら、うな善とずっと言っておられる程思い出のある場所だったようです。
IMG_2495

少し早めに到着出来たので、車から降りて写真撮影したり息子夫婦と会話して過ごされる。浜松は毎日のように突風が吹くため布団なんか干していたら飛んで行ってしまうので布団を干す時は、布団ばさみが絶対必要である事等、息子夫婦が教えてくれたが、当日はめったにない風が穏やかな日で、ジャンパーも脱げるくらいの陽気であり、すごいラッキーな日に来てもらったと喜んでくださっていました。
20171112_171113_0063 IMG_2503 20171112_171113_0059

白焼きとうな重が運ばれ、こちらのうなぎは関東焼きで一度蒸してから焼く為、関西の物とは違ってふっくら軟らかいものであり,お年寄りにも食べやすいと思った。

うな善を後にし、一番の希望であった天竜浜名湖線・天竜二俣駅で開催している【転車台・鉄道歴史館ツアー】へ。転車台は京都の鉄道博物館にもあるとご存知であり、さすがだなと思った。
3
京都の物に比べるとかなり規模も小さく、昭和15年創業の天浜線は戦後の建物であり、鉄が手に入らない時代だった為、地元の木材を使用した昭和の建物が並んでいて、タイムスリップしたような場所であり、とても懐かしく喜んで見学されていました。
20171112_171113_0047 IMG_2523 20171112_171113_0011 20171112_171113_0009

鉄道マニアにとってはたまらない穴場なんでしょうね
無題 20171112_171113_0001
見学後に次男夫婦とお別れし、天浜線で一両列車に揺られながら掛川駅まで向かう。天浜線の車掌さんも親切であり車椅子が乗りやすいようスロープを付けて乗り降りしやすいように手伝って下さり助かりました。
帰りの新幹線迄時間があるのでお土産を見たり、喫茶店でコーヒーを飲んで過ごしました。その時レンタカーにうな重を置いてきたことを思い出し次男に連絡すると、新幹線の次の駅である浜松駅に届けてくれることになり、浜松駅で次男夫婦に予期せぬ二度の再会に感動もの。そして無事うな重を貰うことが出来ました。
IMG_2537

本人から「楽しかった!行ってよかったです」と言って貰え、家族からも、「こんなことが実現出来、本当に感謝しています」と嬉しい言葉をいただきました。 

入所された頃は拒否ばかりで、夜間もほとんど食堂で過ごし、一日中パジャマ姿、入浴もなかなか出来ないといった方だったのに、日々の関わりの中で、少しずつ心を開いてくれ、今回無事に外出出来、一緒に楽しめることが出来た事を嬉しく思いました。

by mai

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

旅の終わりに寄った掛川駅の壁面に西行法師の和歌に目が留まった
IMG_2535
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山

行けるだろうか、、、
年や体力やらいっぱい不安があったけれど
こうして旅に出られたのも長生きしていればこそと
しみじみと喜ぶ旅のお供でもあった

by kishida